こんにちは、フルリモでデータサイエンティストをしているねこです!🐾
実は私は、最近ひっそりと「AI疲れ」を自覚しはじめていました…。

今日はそれについて思ったことをとりとめなく書いていきます…。
- 私のAI利用記
- AIで稼ぐようになってから増えた「モヤモヤ」
- AIで稼ぐことが目的化すると、人は空っぽになる
- 久々に絵を描いたら、涙が出るほど楽しかった
- AIが作るものは「平均点」だ
- 私にとってのAI疲れ=「自分で作る喜び」を忘れたこと
私のAI利用記
私がAIを使い始めたのは、2023年。
きっかけは、仕事でVBAのコードを生成するのにChatGPTを使ったことでした。
当時私はいわゆるJTC*1の会社に勤めていました。
まだ社内でのAI利用は当然のごとくNGだったんですが、非エンジニアの上司からなかなか複雑なエクセルVBAの作成をお願いされました。
他にも仕事がある中で、一からVBAを組むのがあまりに大変だったので、当時リリース直後で話題になっていたChatGPTを自分のPCで使うことに。
作りたいものの詳細を打つと、あっという間にコードが生成されました。
そして、そのコードをコピペして自分の社用アドレス宛に転記して、メール送信。
それを社用PCで受け取り、コードをエクセルに張り付けて微修正してVBA完成…!!
これが、私のAIデビューでした。
あまりの便利さに、衝撃を受けました。

数時間かかる作業が1時間で終了し、爆速でVBAを作ったので上司にも感謝されてドーパミンドパドパ…。
そこからは坂道を転げ落ちるように、仕事以外でも頻繁にAIを利用するようになりました。
プログラミングの勉強、転職や人間関係の相談、今日の晩ご飯の献立まで。
気がつけば、生活の多くの判断をAIに任せるようになっていました。
AIで稼ぐようになってから増えた「モヤモヤ」
さらに私のAI利用は加速していきました。
画像生成でLINEスタンプを作ったり、フォトストックサイト用に画像を出したり。
ありがたいことに購入してくださるかたがいて、微収入を得ています。
ただ、その裏で、小さなイライラが積み重なっていきました。
それは、プロンプトを微調整してもAIが思った画像を出さないときです。
なんで自分の言うことを理解しないんだ!!とイライラしてしまうこともしばしばあり……。
いうなれば、出来の悪い新人を抱えた上司の気分がよくわかりました(そして、自分の中にあるパワハラ加害者の芽も感じました(笑))
そして何よりも、普通に絵を描いたり写真を撮ったりするよりも、作業は爆速で進んでいるのに、私の中で何も満たされていない感覚があることに気が付きました。
AIで稼ぐことが目的化すると、人は空っぽになる
最近は「AIで副業!」「AIで稼ぐ!」というノウハウが溢れています。
しかし見ていると、どうしても「成果物を作ることそのもの」——つまり、ガワを整えることが目的化してしまっている印象があります。
本来、私たちは表現したい何かが心の中にあって、
そのアウトプットの形として、LINEスタンプを作ったり、本を出版したり、イラストを描いたり、写真を撮ったりするはずです。
そして本来それらの表現には、ある程度のスキルが必要です。
ところが今はAIの補助によって、誰でも簡単にその作品らしきものが作れるようになりました。
その結果、因果関係が完全に逆転しました。
「表現したいから作品を作る」のではなく、
「作品が作れるから、表現者になる」という流れが生まれてしまったのです。
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誰でもプログラマーになれる
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誰でもイラストレーターになれる
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誰でも作家になれる
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誰でもフォトグラファーになれる
こうした現象が、AIによって加速しています。
そこへ、一部のAIイノベーターやアーリーアダプター層が発信する「AI副業」の扇動が加わり、金銭と結びついた瞬間、
多くの人が「何を表現したいか」よりも「とにかく成果物を作ること」に意識を奪われてしまうのは、ある意味で自然な流れかもしれません。
正直に言えば、私自身もそのひとりでした。
これを書きながら胸が痛くなるほどに、実感しています。
「自分は何を表現したいのか」が空洞のまま、ひたすら成果物だけを量産していく…。
それは、虚無以外の何物でもありません。
お金稼ぎ目的でAIを使っていても、本人が楽しいなら健全だと私は思ってます。要は、その行為に自分が虚無を感じるか感じないかです。
私は感じたので、今の自分のAIへの関わり方は健全でない=「AI疲れ」だなと判断しました
久々に絵を描いたら、涙が出るほど楽しかった

この違和感に気づいたあと、ふと思い立って久しぶりに自分でイラストを描いてみました。
そしたら、すっごく楽しくてびっくりしました!!
実は私は子供のときから絵を描くのが大好きで、
中学生のときはイラスト同好会に入るくらい熱中していました。
(コピックとかスクリーントーンとかめちゃくちゃ集めてました)
卒業文集には「漫画家になりたい!」と書いたほどで、
Pixivに二次創作を投稿していた時代もありました。
だけど、大人になるにつれて、忙しさを理由にイラストを描く機会は減り、
AIで画像生成するようになってからは、ますます自分の手を動かすことがなくなっていました。
だからこそ、色を塗り、線を引いた瞬間、
胸の奥で「あ、これだ」と何かが甦りました。
AIで生成するよりも、時間はかかるし、線も色塗りもガタガタだったけど、圧倒的に楽しかったです!
AIが作るものは「平均点」だ
AIは確かにすごいです。
とんでもなく便利だし、クオリティも高い。
でも、AIが生成するものって、結局この世にある既存のものを平均化したイメージにすぎないんですよね。
例えば「寿司の画像作って」って打ったら、それっぽい画像が生成されるんですけど、それはこの世にある寿司(=学習元データ)を平均化した結果です。
AIが寿司というものの本質を理解しているわけじゃないです。
つまり、統計的に「もっとも寿司っぽい」ものを生成しているだけなので、「寿司ってどんなもの?」と100万人にアンケートを取って、その中で多数の人があげた特徴から画像を生成しているみたいなもんです。
多くの人がマグロとかサーモンとかの海鮮の寿司を想像すると思うので、くら寿司の「ハンバーグ寿司」みたいなもんが出てくることはまずないです。
(↓この記事でちょっと書いてます)
何が言いたいかというと、
そういう「平均点」を出力するという性質から、
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強烈な個性は出にくい
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記憶に残りにくい
AIで生成したものには、このような特徴があるんですよね。
つまり、AIは個性を必要としない分野の効率化には最強だけれど、
自分の表現を預けるには不向きなのだと思います。
私にとってのAI疲れ=「自分で作る喜び」を忘れたこと

最後に私のAI疲れの正体についてまとめると、
AIを使って作業を効率させた結果、成果物を作成することが優先になってしまい、「何かを作りたいという気持ち」、そして「それを表現する喜び」を忘れてしまっていたことだったのだと思います。
これからももちろんAIは使いますが、
自分が何を表現したいのか?に声を傾けながら、適切な距離感でAIを利用していきたいです。
あと、下手でもいいから、絵や文章は極力自分でかいていきたいです。
なんだかんだ、つくる過程が楽しいし、それ自体が癒しなんですよね。
いま学生の人には申し訳ない言い方になるんですが、つくづく、自分の学生時代にAIがなくてよかったと思っています。
大学のプログラミングの課題、卒業論文や修論、就活のエントリーシート……。
そういったものをAIがない時代に自力でやり遂げたことは、30歳の大人になった今でも、自分にとって背骨のような強い自信になっています。
もし自分の学生時代にAIがあったら、ズブズブにハマって、ちゃんとプログラミングも勉強しなかったかもしれないし、自分で文字を書くこともしなかったかもしれないです。
もちろん、今の学生たちにとってAIはとても心強い味方だと思います。
ChatGPTで自分専用の問題集を作ることもできるし、レポートだって何千字でもすぐに書けます。
ただ同時に、便利だからこそ距離感の取り方が難しい時代でもあるとも感じます。
AIをどう活用するか、どこまで頼るか…。
私たちの時代とはまた違う種類の悩みや判断が必要になってきそうです。
*1:日系大手企業の意。